2012年度
2012年酒井(広)研究室年次報告
本研究室では、(1)高強度レーザー電場を用いた分子操作、(2)高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など)に代表される超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、(3)アト秒領域の現象の観測とその解明、(4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御を中心に活発な研究活動を展開している。
始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment)と呼び、頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation)と呼ぶ。英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので注意する必要がある。また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、一つを制御することを1次元的制御と呼び、三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。以下に、研究内容の経緯とともに、今年度の研究成果の概要を述べる。
1.レーザー光を用いた分子配向制御技術の進展
本研究室では、レーザー光を用いた気体分子の配向制御技術の開発と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を格段に明瞭な形で行うことが出来る。そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や分子軌道の対称性や非対称性の効果を直接調べることができるなど、全く新しい実験手法を提供できる。実際、配列した分子試料の有効性は、I2 分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり(T. Suzuki et al., Phys. Rev.Lett. 92, 133005 (2004))、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり(T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))するなどの、本研究室の最近の成果でも実証されている。
分子の配向制御については、静電場とレーザー電場の併用により、既に1 次元的および3 次元的な分子の配向が可能であることの原理実証実験に成功した。これらの実験は、分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、いわゆる断熱領域で行われたものである。この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。本研究室では、静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trot に比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した(Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A77, 031403(R) (2008))。最近、ピーク強度付近で急峻に遮断されるパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した(A. Goban et al., Phys. Rev. Lett.101, 013001 (2008))。
一方、本研究室ではさきに、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2 波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem.Phys. 115, 5492 (2001))。この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。したがって、分子の配向に寄与しているのは分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。
最近、この手法に基づいて、2 波長レーザー電場を用いてOCS 分子を配向制御することにも初めて成功した(K. Oda et al., Phys. Rev. Lett. 104, 213901(2010))。さらに、C6H5I 分子を用い、本手法の汎用性の実証も行った。一方、Even-Lavie valve を用いても、OCS やC6H5I 分子の配向度は、0.01 のオーダーであり、劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。この困難は、回転量子状態がBoltzmann 分布しているthermal ensembleでは、いわゆるright way に向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。本研究室では、配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクス(electronic stereodynamics inmolecules) に関する研究の推進を目指しており、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2 波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指すこととした。そして、主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser) と主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deector) を組み込んだ実験装置の立ち上げを行った。今後は、回転量子状態を選別した試料を用い、静電場とレーザー電場を併用する手法や2 波長レーザー電場のみを用いる全光学的な手法により、分子配向度の向上を実現した上で、配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究の確立を目指す。
昨年度までに、初期回転量子状態を選別した非対称コマ分子(C6H5I) を試料とし、静電場とレーザー電場を併用する手法を用いて世界最高水準の高い配向度を達成することに成功していた。今年度は、プラズマシャッター技術を導入し、初期回転量子状態を選別した分子のレーザー電場のない条件下での1 次元的配向制御に世界で初めて成功した。プラズマシャッターで整形したナノ秒パルスの立下りは、約150 fsであった。配列度を〈cos2 θ2D〉 (θ2D はレーザー光の偏光方向と分子軸(ここではC-I 軸) のなす角 θの2次元検出器面への射影) で評価すると、レーザー電場を遮断後に、10 ps 程度高い配列度を維持できることが明らかとなった。一方、観測されるフラグメントイオンのうち、検出器面の上側に観測されるものの割合Nup=Ntotal を配向度の指標とすると、レーザー電場を遮断後に、20 ps 程度高い配向度を維持できることが明らかとなった。10-20 ps の時間スケールは、フェムト秒レーザーパルスを用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究への応用を考慮すると十分に長い時間スケールと言える。レーザー電場を遮断後の配列度や配向度の時間発展は、レーザーのピーク強度が高いほどdephasing が早まる様子が確認できた。これは、高いレーザー強度のときほど高い回転励起状態まで分布するためと考えられる。これらの観測と並行して、配列度や配向度のピーク強度依存性を測定した。配列度についてはレーザー強度の増大とともに単調に増加する傾向が確認できたが、配向度は1×1011 W/cm2 付近で一度極大値を取った後、減少傾向を示し、3×1011 W/cm2 付近から再び増大する様子が確認できた。一度極大値を取った後に減少傾向を示すのは、試料として用いたC6H5I分子にとって立ち上がり6 ns が純粋に断熱的な応答を保証するほど十分に長くないことを示していると考えられる。また、3×1011 W/cm2 付近から再び増大傾向を示すのはいわゆるボリューム効果、即ちプローブされる相互作用領域にある分子が感じる平均的な強度が極大値を取る値に近づいたためと解釈するのが自然であろう。
今後は、静電場と楕円偏光したレーザー電場の併用により、レーザー電場の遮断直後にレーザー電場の存在しない条件下で世界初の3 次元的な配向状態の実現を目指す。さらに、上述したナノ秒非共鳴2波長レーザー電場を用いる全光学的な配向制御手法にプラズマシャッター技術を適用することにより、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御の実現を目指す。直線偏光した2 波長レーザー電場の偏光方向を平行にすれば1 次元的な配向制御が可能であり、偏光方向を交差させることにより3 次元的な配向制御が可能である。2 波長レーザー電場としては、ナノ秒Nd:YAG レーザーの基本波(波長λ= 1064 nm) とその第2 高調波( λ= 532nm) を使用する予定である。2 波長レーザー電場に対するプラズマシャッター技術の実現可能性は、全光学的分子配向制御の原理実証実験(K. Oda et al.,Phys. Rev. Lett. 104, 213901 (2010)) と並行して進めていたが、予め2 波長を発生させてエチレングリコールジェットシートに入射すると第2 高調波の高い光子エネルギーのためエチレングリコールの絶縁破壊が起こりやすく、より高いパルスエネルギーを利用できるようにすることが課題であった。その後、基本波のみをプラズマシャッターで急峻に遮断するように整形した後で第2 高調波を発生させることにより、基本波、及び第2 高調波共により高いパルスエネルギーを利用する技術を開発済みである。
2.搬送波包絡位相を制御したフェムト秒パルスを用いた原子分子中からの高次高調波発生
近年の超短パルスレーザー技術の進歩により、レーザー電場の包絡線のピークに対する振動電場の位相(搬送波包絡位相、Carrier-Envelope Phase: CEP)の固定された数サイクルパルスの発生が可能となり、高次高調波発生を始めとする光の1 周期以内で起こる現象のCEP 依存性を直接的に調べることも可能になってきた。昨年度は、CEP の制御された数サイクルパルスを用いた実験に先立って、CEP の制御されたパルス幅τ~25 fs のレーザー光を希ガス原子や配列した分子に集光照射して観測される高次高調波スペクトルを解析することにより高調波発生過程に関する新たな知見を得ることができた。具体的には、高調波スペクトルをフーリエ変換して解析した結果、チャープしてスペクトルが広がった隣り合う奇数次高調波の同じ周波数成分が発生する時間差ΔTが高調波次数とともに減少していることが初めて明らかになった。また、分子を試料とした場合に観測される干渉パターンのvisibility は、alignment あるいはanti-alignment 状態にあるときの方がランダム状態にあるときよりも高くなることが明らかになった。このことは、アト秒パルス列の発生において、分子配列がその制御パラメータになることを示唆している。さらに、N2 分子を用いた場合の方が、CO2分子を用いた場合よりも干渉パターンが明瞭であることも明らかになった。この性質は、N2 分子の最高被占分子軌道(Highest Occupied Molecular Orbital:HOMO) がσg の対称性をもつのに対し、CO2 分子のそれがπg の対称性をもつことに起因していると考えられる(Sakemi et al., Phys. Rev. A 85, 051801(R)(2012))。
昨年度、CEP の制御されたサブ7 fs パルスを用いた実験を行うために、真空チェンバー中に設置した凹面鏡でフェムト秒パルスを集光できる高次高調波発生装置を立ち上げた。サブ7 fs パルスは、フェムト秒Ti:sapphire レーザー増幅システムから得られる25fs パルスをNe を充填したホローコアファイバーに通すことにより、伝搬に伴う自己位相変調効果でスペクトルを広帯域化した後に、チャープミラー8 枚(即ち、8 bounces) で分散補償して圧縮することにより発生させる。さらに、数メートルに及ぶ空気中の伝搬や高調波発生装置の入射窓を通過する際の群速度分散によるパルスの広がりを高調波発生装置付近に設置した別のチャープミラー8 枚(即ち、8 bounces)で分散補償して使用した。高調波発生用のサブ7 fsパルスのパルス幅と位相は、同じく高調波発生装置付近でSPIDER (spectral phase interferometry fordirect electric-eld reconstruction) 法により測定した。その結果、サブ7 fs パルスを得るためには、フェムト秒Ti:sapphire レーザー増幅システムのコンプレッサー内の回折格子、チャープミラーの入射角やウェッジ板の挿入量などの微妙な調整が必要であるだけでなく、データ取得のために長時間同じパルス幅や強度を維持することは極めて困難であることが分かった。このため、当面の実験では比較的容易に得られ、かつ長時間同じパルス幅や強度を維持しやすいサブ10 fs パルスを用いて実験を進めることにした。
今年度は、非断熱的に配列したN2 分子やCO2 分子を試料とし、CEP を制御したサブ10 fs パルスを基本波とする高次高調波発生実験を行いプラトーからカットオフに近い領域にCEP の相対値に依存して移動する干渉縞を観測することに成功した。高調波スペクトルをフーリエ解析した結果、通常の奇数次高調波成分に加え、いわゆるロングトラジェクトリーとショートトラジェクトリーの寄与からなることを初めて明らかにすることに成功した。観測された干渉縞は、ロングトラジェクトリーとショートトラジェクトリーからの周波数チャープした成分間の干渉と解釈できる。さらに、配列した分子軸に対し、基本波の偏光方向が平行なときと垂直なときで、現状では断定するには至らないものの、高調波の位相に違いがある可能性があることが分かった。本手法で解析できる位相シフトは、HOMO-1 やHOMO-2の寄与に加え、従来の手法では評価できない電子波束の平面波からのずれやクーロン電場の影響などを受けている可能性があることを考察した。
3.分子イメージング法の高度化のための位相スペクトル観測装置の開発
配列・配向した分子試料から発生する高次高調波の観測に基づく分子イメージング法の高度化のために、従来の強度スペクトルに加え、位相スペクトルも観測する装置を新たに開発した。位相スペクトルの観測は高調波によって希ガス中から発生する光電子の運動量を、時間差を付けて照射する基本波で変調した信号の観測に基づいている。今回、高調波の位相スペクトルの観測では初めて情報量のより豊富な2 次元光電子画像化法を採用した。既にNe 中から発生する光電子の角度分布の観測に成功している。今後、実験条件を最適化し、最も高度で洗練された分子イメージング法の確立を目指す。
4.配列した分子中から発生する第3高調波の偏光特性
近年、配列した分子中から発生する高次高調波を観測することにより、分子軌道に関する情報を抽出する研究が大変注目されている。Itatani らは、非断熱的に配列させたN2 分子を用い、分子の配列方向に対し様々な方向に偏光したプローブ光を照射して発生する高調波のスペクトルを観測し、Fourier slicetheorem に基づいて、N2 分子の分子軌道を再構成して見せた(J. Itatani et al., Nature (London) 432,867 (2004))。本研究室では先に、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、特にCO2 分子を試料とした場合、再結合過程における電子のド・ブロイ波の量子干渉効果を世界で初めて観測することに成功した(T. Kanai et al., Nature (London) 435,470 (2005))。観測された効果は、詳細な量子力学的計算でも再現されているが、直感的な描像として、CO2 分子のHOMOの対称性(πg) を決めている両端のO 原子近傍からトンネルイオン化した電子波束が再結合時に破壊的な干渉を起こす2 中心干渉効果で説明できる。本成果は、一分子中で光の一周期以内で起こる電子のド・ブロイ波の量子干渉効果という基礎物理学的な興味に加え、この量子干渉効果を用いることにより分子構造(核間距離) を1 フェムト秒オーダーの極限的短時間精度で決定できることから当該分野で大変注目された。
最近Morishita らは、時間依存Schrodinger 方程式を数値的に解くことによって得られる正確な再衝突電子波束を用いることにより、高次高調波スペクトルから原子や分子の構造に関する情報を抽出できる可能性を指摘した(T. Morishita et al., Phys. Rev.Lett. 100, 013903 (2008))。すなわち、高調波スペクトルS(ω) を運動エネルギーの関数である再衝突電子波束W(E) とイオン化の逆過程である光放射再結合断面積σ(ω) を用いてS(ω) = W(E)σ(ω) のように表すことができ、高調波スペクトルS(ω) を実験で観測し、数値計算から求められた正確な再衝突電子波束W(E) を用いることにより原子や分子の構造を反映した再結合断面積σ(ω) を評価できると期待される。ここで注意すべきことは、電子波束が再衝突して(特にカットオフに近い) 高調波を発生するときは、レーザー電場強度がほぼゼロになっており、外部電場がないときの再衝突断面積σ(ω) を評価できることである。このアプローチに従って、本研究室では電気通信大学量子・物質工学科の梅垣俊仁博士、森下亨博士、渡辺信一博士、および、カンザス州立大学物理学科のAnh-Thu Le 博士との共同研究において、希ガス原子Ar、Kr、Xe 中からの高次高調波スペクトルを観測し、正確な再衝突電子波束W(E) を用いて再結合断面積σ(ω) を評価するとともに、理論計算から求められたσ(ω) と比較することによりその妥当性を検証した(S. Minemoto et al., Phys. Rev.A 78, 061402(R) (2008))。上記の考え方をさらに発展させることにより、原子分子に関するいわゆる完全実験の目的である全ての双極子行列要素の振幅と位相を決めることも可能になると期待される。直線分子については、配列した分子から発生する高次高調波の偏光特性を調べることにより、必要な情報を得ることができると考えられる。しかし、高次高調波発生実験は真空中で行う必要があり、偏光特性などの評価は一般に困難である。一方、波長800 nm パルスによる第3 高調波(267 nm) 発生は空気中で行うことができ、ポラライザーなどの光学素子が利用できるため、偏光特性の評価も比較的容易である。
そこで一昨年度より、配列したN2、O2、CO2 分子から発生する第3 高調波の偏光状態が、分子の配列とともにどの様に変化するかを調べてきた。中心波長800 nm、パルス幅100 fs のTi:sapphire レーザー光をマイケルソン干渉計に入れ、ポンプ光とプローブ光に分けた。マイケルソン干渉計のプローブ光の経路にはステップ幅40 nm で動く光学台を設置し、2 つの光の間に任意の時間差を付けられるようにした。さらに、プローブ光側には1/2 波長板を入れておき、プローブ光の偏光方向を自由に変えることができるようにした。マイケルソン干渉計内で時間差を付けて再び同一光軸上に戻ったレーザー光をガスセルに入射した。まずポンプ光がガスセル中の分子を配列させ、その後にプローブ光を配列した分子に入射して第3 高調波を発生させた。このとき、分子が配列しているときは、高調波発生の配列依存性に加え、配列した分子がもつ複屈折性のために、方向によっては位相整合条件を満たし、強い第3 高調波を観測することができた。気体分子は一度配列したのちにほぼランダムな状態となり、第3 高調波の強度は減少するが、分子の回転運動にしたがって1/4周期ごとに再び配列するため、この周期で第3 高調波の強度も再び増大する。ポンプ光とプローブ光の間の遅延時間を分子の1 回転周期程度まで変えながら、分光器とCCD カメラを用いて発生させた第3 高調波のスペクトルを観測した。このとき、観測するスペクトルは、偏光ビームスプリッターで特定の偏光方向成分だけを取り出して観測できるようにした。
昨年度までに、プローブ光の楕円率の増加、即ち、最初の直線偏光状態(楕円率0、楕円偏光の長軸の水平方向からの傾き角であるorientation angle が0 度)に対する垂直成分の増加に伴い、第3 高調波の垂直成分が急速に増加し円偏光状態に近づいた後、長軸と短軸の方向が入れ替わる、即ちorientation angleが急速に約90 度となることを確認した。さらに、この変化の様子は分子種によって異なり、O2 やCO2では、プローブ光の楕円率が0.1-0.2 程度の小さい値で起こるのに対し、N2 や希ガスのAr では0.2-0.3程度で起こることなどを確認した。昨年度までは、フェムト秒レーザー光源として、増幅段をランプ励起のNd:YAG レーザーの第2 高調波で励起するシステムを用いていたため、出力光のエネルギー揺らぎが避けられず、非線形光学効果である第3 高調波の特性評価、特に基本波の出力の状態に敏感に応答する偏光状態の精密で信頼性の高い評価を困難なものとしていた。今年度は、フェムト秒レーザー光源を、増幅段も半導体レーザー励起Nd:YLF レーザーの第2 高調波で励起する全固体フェムト秒レーザー増幅システム(中心波長800 nm、パルス幅50 fs) に更新したことにより、昨年度までよりも偏光状態の精密で信頼性の高い評価が可能になった。今年度は、まず新たに導入された全固体フェムト秒レーザー増幅システムを用い、昨年度までに観測された現象の再現性の確認を行った。プローブ光の楕円率の関数として、第3 高調波の垂直成分の増加の仕方を調べたところ、上述したとおり、CO2 とO2 の増加率はN2、Ar、He の増加率よりも大きく、より詳細には、CO2>O2>N2>Ar>He の関係があることが初めて明らかになった。同様に、プローブ光の楕円率の関数として、第3 高調波のorientation angle の変化の仕方(約90 度に近づく速さ) を調べたところ、CO2 とO2 の変化率はN2、Ar、He の変化率よりも大きく、より詳細には、CO2>O2>N2>Ar>He の関係があることも初めて明らかになった。さらに、プローブ光の楕円偏光の直交する2 成分間の相対位相差(遅延角)0 の関数として第3 高調波のそれδTH を評価したところ、興味深い結果が得られた。Ar やHe のような希ガスの場合、δTH はδ0 によらずほぼ一定であった。一方、分子の場合は分子種によって挙動が異なり、O2 やCO2 の場合、0 が大きくなるにしたがってδTH が小さくなるのに対し、N2 の場合には、0 が大きくなるにしたがってδTH が大きくなることを初めて見出した。これらの一連の知見は、配列した分子中から発生する第3 高調波の偏光特性が分子種の軌道の対称性や大きさ(核間距離)、及び分極率の大きさと異方性などによって決まることを示唆しており、第3 高調波の偏光特性の実験的評価を理論計算と比較検討することができれば、全く新しい分子イメージング手法として発展する可能性を持つと期待される。
5.配列した分子中から発生する第3高調波の偏光特性の時間発展の評価
上述した配列した分子中から発生する第3 高調波の偏光特性の観測は時間分解されておらず、時間的に積分された偏光特性が評価されている。しかし、プローブ光との相互作用領域において、複屈折性をもつ配列分子の配列状態は一様ではないことから、第3 高調波の偏光状態は時々刻々変化する時間依存偏光パルスとなっている可能性がある。超短パルスレーザー技術の進歩により、Ti:sapphire レーザー増幅システムからの出力である中心波長800 nm の近赤外領域での時間依存偏光パルスの発生と制御技術は本研究室でも既に開発済みであるが、紫外領域の時間依存偏光パルスの生成と制御技術は未開拓の課題である。第3 高調波の偏光状態を時間分解して調べることは、配列した分子中からの第3 高調波の発生メカニズムのより詳細な理解に繋がるであろうし、偏光状態の時間分解が一層困難な高次高調波の偏光状態を推察するための手掛かりが得られる可能性もある。また、レーザー電場のベクトルとして性質を最大限生かすことのできる時間依存偏光パルスの発生と制御手法の波長域の拡大は工学的にも意義深い。そこで、本年度より配列した分子中から発生した第3 高調波の時間依存偏光特性を評価するため、偏光分解干渉法の開発に着手した。この測定により、分子種に固有の分極率や超分極率、さらに分子座標系におけるそれらの空間的な成分を評価できると期待される。
今年度は、偏光分解干渉計を開発し、その性能評価を行った。偏光分解干渉法は、信号光(配列した分子から発生する第3 高調波) と適当な時間だけ遅延させた参照光(信号光と同程度のバンド幅が必要) を同軸上にして分光器に入射し、スペクトル上に現れる干渉信号から信号光の位相を取り出す方法である。
ここで、分光器の直前に偏光ビームスプリッターを設置して鉛直あるいは水平成分のみを観測し、各成分間の位相を比較すれば時間に依存した偏光状態を評価できる。参照光用の第3 高調波は、β-BaB2O4結晶2 枚を用いた一般的な手法で発生させた。結晶の角度を調整し、位相整合をスペクトルが広がるように最適化したところ、図1.1.1 (a)、及び(b) に示すように、信号光スペクトルのほぼ全領域で干渉信号を観測することに成功した。
予備実験として、非断熱的に配列した窒素分子を媒質とし、発生した第3 高調波の偏光状態を調べた(図1.1.1)。基本波として、水平方向に(ほぼ) 直線偏光したフェムト秒パルス(中心波長 800 nm、パルス幅50 fs) を用い、窒素分子(0.2 気圧) は水平方向に配列している。水平成分の干渉信号と抽出した位相を図1.1.1 (a) に、鉛直成分を1.1.1(b) に示す。水平成分は信号光の強度が強いため、干渉信号自体をスペクトル上で確認するのは難しいが、ノイズやDC 成分を除去することにより、再現性良く位相を抽出することができた。また、鉛直成分については、基本波に僅かに残っている鉛直成分が第3 高調波発生時に位相整合効果などで増幅され、有意な信号として観測されていると考えられる。これらの位相情報から第3 高調波の時間波形、および時間に依存した偏光状態を評価した(図1.1.1(c))。自己位相変調効果によってパルス幅が広がっているが、楕円率はパルスの中心部分ではほぼ0 であり、直線偏光に近いことが分かる。
一方、現在のところ、位相の測定中に5 分あたりπ/2 程度のドリフトが見られ、上記の結果をランダムに配列した分子と定量的に比較することはできていない。今後、干渉計の更なる安定化を図り、位相の揺らぎを現在の1/5 程度以下に抑える予定である。これにより、第3 高調波発生の楕円率依存性や配列依存性などの定量的な議論が可能になると期待される。
6 その他
ここで報告した研究成果は、研究室のメンバー全員と学部4 年生の特別実験で本研究室に配属された樋口嵩君、中前秀一君(夏学期)、及び、玉井敬一君、原田了君(冬学期) の活躍によるものである。
なお、今年度の研究活動のうち項目1~4は、科学研究費補助金の特別推進研究「配向制御技術で拓く分子の新しい量子相の物理学」(課題番号21000003、研究代表者:酒井広文) に加え、文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」、及び、「最先端研究基盤事業コヒーレント光科学研究基盤の整備」からの支援も受けて行われた。また項目5は、主として科学研究費補助金の基盤研究(C)「配列した分子試料を用いた紫外パルス光源の高能化」(課題番号24560041、研究代表者:峰本紳一郎) の支援を受けて行われた。ここに記して謝意を表する。