2017年度

2017年酒井(広)研究室年次報告

本研究室では、(1)高強度レーザー電場を用いた分子操作、 (2)高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など)に代表される 超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、 (3)アト秒領域の現象の観測とその解明、 (4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御を中心に活発な研究活動を展開している。

始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment)と呼び、頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation)と呼ぶ。 英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので注意する必要がある。また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、一つを制御することを1次元的制御と呼び、三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。

以下に、研究内容の経緯とともに、今年度の研究成果の概要を述べる。特に「1. レーザー光を用いた分子配向制御技術の進展—従来の経緯」は、昨年度と重複するが、研究の進展を概観するために必要な内容であるので、ご理解いただきたい。

1. レーザー光を用いた分子配向制御技術の進展

従来の経緯

本研究室では、レーザー光を用いた気体分子の配向制御技術の開発と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を格段に明瞭な形で行うことが出来る。そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や分子軌道の対称性や非対称性の効果を直接調べることができるなど、全く新しい実験手法を提供できる。実際、配列した分子試料の有効性は、I2分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり(T. Suzuki et al., Phys. Rev. Lett. 92, 133005 (2004))、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり
(T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))するなどの、本研究室の成果でも実証されている。

分子の配向制御については、静電場とレーザー電場の併用により、先に1次元的および3次元的な分子の配向が可能であることの原理実証実験に成功した。これらの実験は、分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、いわゆる断熱領域で行われたものである。この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。本研究室では、静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trotに比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した(Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008))。この手法を実現すべく、ピーク強度付近で急峻に遮断されるパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した(A. Goban et al., Phys. Rev. Lett. 101, 013001 (2008))。

一方、本研究室では先に、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))。この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。したがって、分子の配向に寄与するのは分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。

この手法に基づいて、2波長レーザー電場を用いてOCS分子を配向制御することにも初めて成功した(K. Oda et al., Phys. Rev. Lett. 104, 213901 (2010))。 さらに、C6H5I分子を用い、 本手法の汎用性の実証も行った。 一方、Even-Lavie valveを用いても、OCSやC6H5I分子の配向度は、0.01のオーダーであり、劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。この困難は、回転量子状態がBoltzmann分布しているthermal ensembleでは、いわゆるright wayに向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。本研究室では、配向した分子試料を用いた「分子内電子の立体ダイナミクス(electronic stereodynamics in molecules)」に関する研究の推進を目指しており、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指すこととした。そして、主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser)と主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deflector)を組み込んだ実験装置の立ち上げを行った。今後は、回転量子状態を選別した試料を用い、静電場とレーザー電場を併用する手法や2波長レーザー電場のみを用いる全光学的な手法により、分子配向度の向上を実現した上で、配向した分子試料を用いた「分子内電子の立体ダイナミクス」研究の確立を目指す。

既に、初期回転量子状態を選別した非対称コマ分子(C6H5I)を試料とし、静電場とレーザー電場を併用する手法を用いて世界最高水準の高い配向度を達成することに成功した。さらに、プラズマシャッター技術を導入し、初期回転量子状態を選別した分子のレーザー電場のない条件下での1次元的配向制御に世界で初めて成功した(J. H. Mun et al., Phys. Rev. A 89, 051402(R) (2014))。プラズマシャッターで整形したナノ秒パルスの立ち下がりは、約150 fsであった。分子が配列・配向している様子は、フェムト秒プローブパルスで生成された多価イオンからクーロン爆裂で生成されたフラグメントイオンを2次元イオン画像化法で観測した。配列度を⟨cos2θ2D⟩(θ2Dはレーザー光の偏光方向と分子軸(ここではC-I軸)のなす角$\theta$の2次元検出器面への射影)で評価すると、レーザー電場を遮断後に、5-10 ps程度高い配列度を維持できることが明らかとなった。一方、観測されるフラグメントイオンのうち、検出器面の上側に観測されるものの割合Nup/Ntotalを配向度の指標とした場合には、レーザー電場を遮断後に、20 ps程度高い配向度を維持できることが明らかとなった。配列度⟨cos2θ2D⟩のdephasing時間と総合すると実質的に高い配向度を維持できるのは5-10 psと考えるのが妥当である。この5-10 psという時間スケールは、フェムト秒レーザーパルスを用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究への応用を考慮すると十分に長い時間スケールと言える。

さらに、静電場と楕円偏光したレーザー電場の併用により、レーザー電場の遮断直後にレーザー電場の存在しない条件下での3次元的な配向制御の実現に世界で初めて成功した(D. Takei et al., Phys. Rev. A 94, 013401 (2016))。実験試料として分子偏向器で初期回転量子状態を選別した3,4-ジブロモチオフェン分子(C4H2Br2S)を用いた。楕円偏光を用いるとBr+フラグメントの角度分布が楕円偏光面によく沿う様子を観測でき、フラグメントイオンの上下の非対称性と併せて3次元配向が実現している様子を確認することができた。先の3次元配向制御の原理実証実験のときに、2次元イオン画像の観測により3次元配列の確認をし、TOFスペクトルのforwardイオンとbackwardイオンの非対称性の観測により分子が配向していることを確認し、両者の組み合わせにより3次元配向の証拠としたのに対し、今回は配向度が十分高いため、2次元イオン画像だけで3次元配向制御の様子を直接的に観測することができた。この3次元配向制御の直接的観測自体も世界初の成果である。さらに、プラズマシャッター技術でナノ秒パルスを急峻に遮断すると、1次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときのdephasingダイナミクスよりは若干速いものの、∼5 ps程度は十分高い配向度を維持できることを確認した。また、ナノ秒パルス内で、プラズマシャッターを掛けるタイミングを変えると、パルスの遮断後のdephasingダイナミクスが異なることを確認することができた。特にナノ秒パルスのピーク強度の前後の瞬時強度がほぼ等しいタイミングでパルスを遮断した後のdephasingダイナミクスが異なることは、1次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときと同様に、3,4-ジブロモチオフェン分子に対しても、ナノ秒パルスの立ち上がり時間8 nsが分子とレーザー電場の純粋に断熱的な相互作用を保証するほど十分に長くはないことを示唆している。

その後、上述したナノ秒非共鳴2波長レーザー電場を用いる全光学的な配向制御手法にプラズマシャッター技術を適用することにより、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御技術の開発を進めている。直線偏光した2波長レーザー電場の偏光方向を平行にすれば1次元的な配向制御が可能であり、偏光方向を交差させることにより3次元的な配向制御が可能である。さらに、2波長レーザーパルスにプラズマシャッター技術を適用すれば、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御が可能となる。2波長レーザー電場を用いた全光学的な配向制御の実験は、静電場とレーザー電場を併用する手法と比べると、光学系の構成は複雑となる。2波長レーザー電場としては、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長λ = 1064 nm)とその第2高調波(λ = 532 nm)を使用する。 2波長レーザーパルスとプローブパルスの空間的重なりをよくするための調整などを地道に行った結果、 当初の目標であった配向度⟨cos2θ2D⟩> 0.1を達成できる目処をつけることに成功した。一方、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波とその第2高調波を利用した分子配向制御においては、基本波のパルス幅よりも第2高調波のパルス幅の方が短いため、基本波が先に立ち上がり始めることが配向度の効率的な向上を妨げている根本原因であることを明らかにした。これは、基本波パルスのみが先に立ち上がると対称な2重井戸ポテンシャルが形成されて分子配列のみが進行し、遅れて第2高調波パルスが立ち上がり非対称ポテンシャルの形成が始まっても断熱的に配向を制御するメリットを生かすことができないためである。この困難を克服し、理想的な条件で全光学的な配向制御法を開発するために、干渉計型の光路を導入して2波長間の立ち上がりのタイミングを合わせることにした。

平成29年度の進展

上記の方針にしたがって、実際に干渉計型の光路を導入し、2波長パルスのアライメントを行った。干渉計型の光路の導入により、 一般に2波長間の相対位相が揺らぐことは避けられない。そこで、BBO結晶を用いてNd:YAGレーザーの基本波の第2高調波を発生させ、 元から発生している第2高調波との干渉信号を観測する。この2波長間の相対位相を干渉信号で検出するため、試料分子と相互作用して真空チェンバーから抜けて来たポンプ光をそのまま2波長間の相対位相の観測に利用できるようにさらに光学系を修正した。 クーロン爆裂イメージング法を用いて配向度を測定しつつ、ポンプ光の2波長間の相対位相をリアルタイムで検出しデータを保存しておくことによって、2波長間の相対位相が安定しているときのデータを採用できる。これまでの実験によって、配向度|cosθ2D|>0.1を達成することに成功した。この配向度は、プローブ光による試料分子の多価イオン生成過程における配向依存性の効果を避けるため、プローブ光の偏光を検出器面に垂直にして観測された配向度として世界で最も高い値である。実際、プローブ光の偏光をポンプ光のそれと平行、即ち、検出器面に平行にして観測すると、プローブ光による試料分子の多価イオン生成過程における配向依存性の効果のため、配向度は確実に過大評価されてしまうことに注意すべきである。

一方、ポンプ光として利用するナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波と第2高調波のパルス幅が異なることに伴う立ち上がりの違いが配向度の向上を妨げていることは、パルス幅10 ns程度のNd:YAGレーザーパルスを用いても配向のダイナミクスが非断熱的であることを意味している。この非断熱性に伴うデメリットは、第2高調波パルスの偏光を楕円偏光にすることによってある程度軽減されることを数値計算で明らかにした。基本波と第2高調波の偏光が共に直線偏光のときは、形成される非対称な相互作用ポテンシャルは極角θのみに依存する1次元的な形状となるのに対し、第2高調波パルスを楕円偏光とすることにより、
極角θに加え、方位角φにも依存する3次元的な形状となり、非対称ポテンシャル間の障壁が方位角φに沿って低い領域が生成され、配向状態へのトンネル遷移の確率が上昇することがポイントである。実際、数値計算の結果、同じ強度の第2高調波パルスを直線偏光から楕円偏光にすると配列度⟨cos2θ⟩は若干下がるものの、配向度⟨cosθは有意に向上することを確認した。
この手法の優位性を実験でも検証する予定である。

単一アト秒パルスの発生とその偏光制御に向けて

近年、高次高調波発生の技術を応用して発生させた単一アト秒パルスを用いて物質中の電子の超高速ダイナミクスを観測ないし制御する研究が注目を集めている。従来、アト秒パルスの偏光は直線偏光に限られていたが、基本波に2波長の逆回り円偏光を用いることにより、円偏光の単一アト秒パルスの発生とその応用に関する研究も現れてきた。光電場はベクトル量であるから、その性質を最大限活かし、物質中の電子の超高速ダイナミクスを高度に制御するためには、単一アト秒パルスの偏光状態を円偏光だけでなく任意の楕円偏光に制御できることが望ましい。一般に、高次高調波発生の技術を利用して発生する単一アト秒パルスの波長域は極端紫外–軟X線領域であるため、λ/4波長板などの既存の光学素子を用いることはできない。そこで、配列した分子アンサンブルがもつ複屈折性を単一アト秒パルスを始めとする高次高調波の偏光制御に利用する可能性を追究する研究に着手した。

実際に配列した分子アンサンブルが複屈折性をもつ、すなわち、屈折率の分子軸に平行な成分と垂直な成分に有意な差があることを確認するため、高次高調波を光源とする配列した窒素分子の吸収分光実験を行った。フェムト秒Ti:sapphireレーザー増幅システムの出力を窒素分子を配列するためのポンプ光と高次高調波発生用のプローブ光に分けた。プローブ光は将来2重偏光ゲート法(Double Optical Gating: DOG)を用いて単一アト秒パルスを発生するのに有利なように3 atmのNeガスを充填した中空ファイバーに入射し、自己位相変調でスペクトルを広げたのち、チャープミラー圧縮器を用いてパルス幅10 fs以下に圧縮した。既にDOGを利用して単一アト秒パルスを発生するための準備も済ませている(DOGシステムの導入に当たり、NTT物性科学基礎研究所の増子拓紀氏と小栗克弥氏のご協力を得た。ここに記して謝意を表する。)まず、ポンプ光を用いずにランダム配向の分子アンサンブルを通過した高調波がそのスペクトル領域全域にわたり、分子アンサンブルを光学素子として利用するには全く支障がない程度の吸収(20%未満)を受けることを確認した。その後、ポンプ-プローブ実験を行ったところ高調波スペクトルの吸光度が窒素分子の非断熱的配列に対応する変調を受けることも確認できた。解析の結果、分子アンサンブルの吸収係数の分子軸に平行な成分と垂直な成分に有意な差があることが明らかになった。このことは、Kramers-Kronigの関係式から分子アンサンブルの屈折率の分子軸に平行な成分と垂直な成分に有意な差があること、すなわち、配列した分子アンサンブルが有意な複屈折性をもつことを意味する。

今後、配列した分子の向きに対し、高調波の偏光方向を回転させながらデータを取得し、配列した分子アンサンブルの複屈折性の詳細を明らかにするとともに、配列した分子アンサンブルによって偏光状態を制御した高調波によって希ガスから生成される光電子の角度分布を測定して高調波の偏光状態を評価する予定である。一方、導入済みのDOGシステムをチューニングして実際に単一アト秒パルスの発生とその偏光制御の実現を目指す。

硫化カルボニル分子の多チャンネル解離性イオン化の配向依存性に対するレーザー波長の効果

本研究室では、先に気体分子と超短パルス高強度レーザー電場との相互作用で発現する様々な物理現象の探究を目的として
電子・イオン多重同時計測運動量画像分光装置を開発した。既にこの装置を用い、OCS分子の多チャンネル解離性イオン化過程の配向依存性を明らかにした。3原子分子であるOCS分子の場合、同じ1価のイオンでもOCS+→ S++CO (I)、CO++S (II)、CS++O (III)、及びO++CS (IV)の様に様々な解離の仕方をする。光電子とイオンのコインシデンス測定を行うことにより、上記の解離チャネルを区別しつつトンネルイオン化の配向依存性を明らかにすることに初めて成功した。具体的には、チャンネル(I)、(II)、及び(III)は、高強度レーザー電場がS原子側を向いているとき(トンネルイオン化の描像に従えばO原子側から)イオン化しやすく、チャンネル(IV)は高強度レーザー電場がO原子側を向いているとき(トンネルイオン化の描像に従えばS原子側から)イオン化しやすいことを見出した。また、このトンネルイオン化の配向依存性の度合いがレーザー強度に依存することも見出した(Y. Sakemi et al., Phys. Rev. A 96, 011401(R) (2017))。

上記の実験は、フェムト秒Ti:sapphireレーザー増幅器からの出力(中心波長λ ~ 800 nm)を用いて行った。より長波長のレーザー光を用いることにより、イオン化過程がよりトンネルイオン化の描像に近づく。本年度、フェムト秒Ti:sapphireレーザー増幅器の出力で励起した光パラメトリック増幅器からの出力(中心波長~1300 nm)を用いた実験に着手した。中心波長λ ~800 nmで得られた結果と比較検討するとともに、理論モデルの構築により有益な情報が得られると期待できる。

フェムト秒EUV自由電子レーザーパルスと近赤外パルスによる原子・分子の角度分解光電子分光

近年、X線自由電子レーザーの開発とその応用研究が世界的に注目されている。日本では、理化学研究所のX線自由電子レーザー施設SACLA (SPring-8 Angstrom Compact Free Electron Laser)が2011年6月7日16時10分に1.2 ÅのX線レーザーの発振に成功し、現在ではX線レーザーパルスを利用した様々な応用研究に供されている。本研究室では、高エネルギー加速器研究機構の柳下明名誉教授らのグループと協力してフェムト秒X線自由電子レーザーパルスを用いた配列した分子中からの光電子回折像の観測に基づく「超高速光電子回折法」の開発を進めている。この手法は、X線自由電子レーザーパルスの照射により分子を構成する原子の内殻から生成された光電子の波と、その一部が同一分子内の近傍の原子で弾性散乱した波の干渉効果を光電子回折像として観測し、理論モデルとの比較により核間距離や3原子分子の場合には屈曲角をも決定するものである(M. Kazama et al., Phys. Rev. A 87, 063417 (2013))。特に気体分子の構造決定を目的とする場合には、本研究室が世界をリードする気体分子の配列・配向制御技術が不可欠となる。

これまでに、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波パルスで配列したI2分子を試料とし、光子エネルギー4.7 keVのX線自由電子レーザーパルスの照射により生成される運動エネルギー~140 eVをもつI 2p光電子の回折像を観測した。この「超高速光電子回折法」の原理実証実験(K. Nakajima et al., Sci. Rep.5, 14065 (2015))を踏まえ、I2分子の配列度を⟨cos2θ= 0.734まで高めることにより明瞭な光電子回折像を得ることに成功した。理論計算と比較した結果、I2分子配列用のナノ秒Nd:YAGレーザー電場中(6×1011 W/cm2)で、I2分子の核間距離は、平衡核間距離(2.666 Å)よりもアンサンブル平均で0.18-0.30 Å伸長していることを初めて明らかにした( S. Minemoto et al., Sci. Rep. 6, 38654 (2016))。

光子エネルギーが数keVのX線領域では光電子生成の断面積が極めて小さく、精度よく光電子回折像を得るためには長時間の測定が不可欠である。一方、SACLAでは、2016年度から数10から150 eV程度の光子エネルギーで自由電子レーザーパルスの提供を始めた。この極端紫外(EUV)領域ではイオン化断面積がX線領域に比べて100-1000倍ほども大きく、短時間で精度よく光電子回折像を測定できると考えられる。このEUV-FELパルスを使い、まず超短パルスTi:sapphireパルスとの同期実験を行った。ArやXeなどの原子を試料として用い、生成する光電子の速度分布のイメージを観測したところ、EUV-FELとTi:sapphireパルスが時間的に重なったときに、それぞれのパルスの光子が同時に関与するイオン化過程(超閾イオン化過程)に相当するピークの観測に成功した。高強度場近似(Strong-field approximation: SFA)を用いたモデル計算でFELパルスとTi:sapphireパルスとのジッターを考慮しながらシミュレーションしたところ、ジッター幅として1 psを仮定した時に実験で得られたスペクトルを最もよく再現することが分かった(S. Minemoto et al., J. Phys. B 51, 075601 (2018))。一般に、FELとTi:sapphireパルスの時間同期の制御は電気信号によっているため、現在の技術では、数百フェムト秒から1ピコ秒程度のジッターは避けられない。このような状況に於いて、超短パルス近赤外レーザーを併用した時に現れる2光子超閾イオン化信号が両パルス間の時間的不確定性を評価するよい指標となることが分かる。

一方、「超高速光電子回折法」の実現に向けて、分子試料の時間分解光電子スペクトルの測定も行っている。例えば、同期Ti:sapphireレーザーにより二酸化炭素分子を非断熱的に配列させ、光子エネルギー55.4 eVのFELパルスによって発生する光電子の角度分解スペクトルを測定した。ここで、FELと同期レーザーとのジッターの影響を評価するために、光電子測定と同時に、フラグメントイオンの観測も行っている。すなわち、非断熱的分子配列法では、分子の向きが時々刻々変化するためにジッターの影響で同一のデータセットにも様々な配列状態からのデータが混ざっているが、ショットごとにフラグメントイオンから配列状態を評価することにより、光電子スペクトルと配列状態の対応付けをすることができる。現在、詳細な解析を進めているところであるが、データの一部を用いた暫定的な結果として、二酸化炭素分子の配列状態に応じて角度分布が変化する光電子チャネルが存在することを確認している。

なお、本研究は、高エネルギー加速器研究機構の柳下明名誉教授と島田紘行特任助教を始めとし、水野智也氏(東京大学物性研究所)、間嶋拓也氏(京都大学)、吉田慎太郎氏(京都大学)との共同研究である。

その他

本年度は修士課程の大学院生2名(小松和真君、三宅聡一朗君)が加入する一方、修士1名(小松原航君)を輩出した。ここで報告した研究成果は、酒井広文研究室のメンバーと客員共同研究員として受け入れた島田紘行氏(高エネルギー加速器研究機構)、及び、学部4年生の特別実験で本研究室に配属された木原太一君、小林志鳳君(Sセメスター)、奥津明俊君、仲林宏斗君(Aセメスター)の活躍によるものである。また、今年度は、平成29年6月9日-7月20日の6週間にわたり、UTRIP (University of Tokyo Research Internship Program)生として、Ms. Asmae Benhemou (University of Glasgow, Glasgow, United Kingdom)を受け入れた。