2009年度
2009年酒井(広)研究室年次報告
本研究室では、 (1)高強度レーザー電場を用いた分子操作、 (2)高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など)に代表される超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、 (3)アト秒領域の現象の観測とその解明、 (4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御 を中心に活発な研究活動を展開している。
始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。 分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment)と呼び、頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation)と呼ぶ。 英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので注意する必要がある。 また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、一つを制御することを1次元的制御と呼び、三つとも制御することを3次元的制御と呼ぶ。 以下に、研究内容の経緯とともに、本年度の研究成果の概要を述べる。
1.レーザー光を用いた分子配向制御技術の展開
本研究室では、レーザー技術に基づいた分子操作と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。 分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を格段に明瞭な形で行うことが出来る。 そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や分子軌道の対称性や非対称性の効果を直接調べることができるなど、全く新しい実験手法を提供できる。 実際、配列した分子試料の有効性は、I2分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり (T. Suzuki et al., Phys. Rev. Lett. 92, 133005 (2004))、 配列した分子中からの高次高調波発生実験において、電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり (T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005)) するなどの、本研究室の最近の成果でも実証されている。
分子の配向制御については、静電場とレーザー電場の併用により、既に1次元的および3次元的な分子の配向が可能であることの原理実証実験に成功した。 これらの実験は、分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、いわゆる断熱領域で行われたものである。 この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。 一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。 本研究室では、静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trotに比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した (Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008))。 昨年度、ピーク強度付近で急峻に遮断されるようなパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した (A. Goban, et al., Phys. Rev. Lett. 101, 013001 (2008))。
一方、本研究室ではさきに、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた (T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))。 この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。 したがって、分子の配向に寄与しているのは分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。
昨年度は、この手法に基づいて、2波長レーザー電場を用いてOCS分子を配向制御することに初めて成功した。 今年度は新たにC6H5I分子を用い、本手法の汎用性の実証を行った。 実験の概略はつぎのとおりである。 高強度2波長レーザー電場には、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長l = 1064 nm)とその第2高調波(l = 532 nm)を用いた。 1/2波長板を用いて2波長の偏光方向を平行にして実験に使用した。 2波長間の相対位相は溶融石英板の回転により制御した。 2波長レーザー光を色消しレンズで集光し、真空チェンバーの相互作用領域に導いた。 典型的なピーク強度は1064 nm光が1.6 x 1012 W/cm2、 532nm光が5.0 x 1011 W/cm2であった。 分子試料には背圧90 atmのHeをキャリアガスとして室温での分圧が約1 TorrのC6H5I分子を用い、パルスバルブを使用して超音速分子線として供給した。 分子が配向している様子は、velocity map型の2次元イオン画像化装置を用いて観測した。 2波長レーザー光のピーク強度付近で高強度フェムト秒Ti:sapphireレーザーパルス(ピーク強度~ 3 x 1014 W/cm2)を集光照射することによりC6H5I分子の2価イオンを生成し、クーロン爆裂で生成されるフラグメントイオンI+の角度分布を観測した(フラグメントイオンC6H5+は2波長レーザー電場の存在下で解離してしまうため、観測できなかった)。 2波長レーザーパルスによって配向した分子のみを検出する為に、Ti:sapphireレーザー光の光路にテレスコープを挿入してビーム径を制御し、Ti:sapphireレーザー光の集光径が2波長レーザー光の集光径よりも小さくなるように調整した 2波長レーザー光の偏光方向は検出器面に平行にし、Ti:sapphireレーザー光のそれは、多光子イオン化率の角度依存性の影響を避ける為、検出器面に垂直にした。 2次元検出器はマイクロチャンネルプレートと蛍光板で構成されており、蛍光板のイメージをCCDカメラで撮影した。
最も大きな配向度が観測されたときの相対位相差を便宜的にf = 0とし、配向度の指標である<cosq> (qは、2波長レーザー光の偏光方向と分子軸のなす角)を、相対位相差f の関数として測定すると、<cosq>が、 2p を周期として変調している様子が確認できた。この観測結果は、高強度非共鳴2波長レーザー電場を用いて、C6H5I分子の配向制御が実現していることの明確な証拠と解釈することができる。 先にGeneral valveを用い、背圧9 atmのArをキャリアガスとして使用したとき、配向を示す明確な証拠は得られなかったが、今回Even-Lavie valveを用い、背圧90 atmのHeをキャリアガスとして使用することによって配向を示す明確な証拠を得ることができた。 General valveを用いたときの配列度<cos2q>が0.65程度であったのに対し、Even-Lavie valveを用いたときのそれが0.92にまで増大したことは、Even-Lavie valveの採用により分子の初期回転温度を下げることができたことを意味している。すなわち、今回の観測結果は、配向度の増大に初期回転温度の低下が有効であることを示すとともに、非共鳴2波長レーザー電場を用いる本手法の汎用性を示している。
一方、Even-Lavie valveを用いても、OCSやC6H5I分子の配向度は、0.01のオーダーであり、劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。 この困難は、回転量子状態がBoltzmann分布しているthermal ensembleでは、いわゆるright wayに向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。 本研究室では、配向した分子試料を用いた分子内電子の立体ダイナミクスに関する研究の推進を目指しており、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。 そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指すことを決断した。 具体的には、主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser)と主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deflector)を組み込んだ実験装置の開発に着手し、現在立上げを進めている。 六極集束器の立上げに当たり、大阪大学大学院理学研究科化学専攻の笠井俊夫教授の全面的な協力を得た。ここに記して謝意を表する。
2.偏光方向の直交した2波長レーザーパルスを用いた配列分子中からの高次高調波発生
近年、配列した分子中からの高次高調波を観測することにより、分子軌道に関する情報を抽出する研究が大変注目されている。 Itataniらは、非断熱的に配列させたN2分子を用い、分子の配列方向に対し様々な方向に偏光したプローブ光を照射して発生する高調波のスペクトルを観測し、Fourier slice theoremに基づいて、N2分子の分子軌道を再構成して見せた (J. Itatani et al. Nature (London) 432, 867 (2004))。 この手法では、高調波発生の第1ステップであるイオン化の配列依存性を本来別に評価する必要があるが、Itataniらの実験ではイオン化ポテンシャルがほぼ等しいArのイオン化過程とほぼ同じであると仮定して、その高調波スペクトルを参照用として用いている。 また、Fourier slice theoremに基づく分子軌道の再構成を行うために、数多くの方向から高調波スペクトルを観測する必要がある。 実際、Itataniらの実験では19の方向から観測している。
一方、偏光方向の直交した2波長レーザーパルスを用いて配列した分子中からの高調波を観測すれば、隣合う偶数次と奇数次の高調波発生に寄与する電子のトラジェクトリーはほぼ等しいと考えることができるので、それらの強度比を取ることにより、高調波発生の第1ステップであるイオン化の配列依存性の影響を打ち消すことができる。 また、高調波の次数によって再結合角が異なるので、2波長の相対位相差を変えながら高調波を測定すれば、分子軌道の再構成に必要な情報が一挙に得られるので、1波長を用いる手法に比べ、高調波の観測過程を大幅に簡略化できると期待される。
本研究では、非断熱的に配列したN2分子やO2分子を試料とし、フェムト秒Ti:sapphireレーザー増幅器からの出力(w)とBBO結晶を用いて発生させた第2高調波(2w)の偏光方向を直交させて、wの偏光方向が分子軸と平行なときと2wの偏光方向が分子軸と平行なときについて、2波長の相対位相差を変えながら高調波スペクトルを観測した。 観測された高調波スペクトルには、最高被占分子軌道(HOMO: Highest Occupied Molecular Orbital)がsgの対称性をもつN2とpgの対称性をもつO2との間で顕著な差を認めることができた。 具体的には、N2分子の場合には、カットオフ近傍の偶数次の高調波の強度が奇数次の高調波の強度に比べて著しく弱いのに対し、O2分子の場合には偶数次と奇数次の高調波の強度に大きな差がないことが明らかになった。 この違いはHOMOの対称性の違いによって説明することができる。現在、観測された高調波スペクトルを用い、本研究で考察した手順に従って、分子軌道の再構成を進めている。上述したように、HOMOの対称性の違いを反映した高調波スペクトルが観測されているので、ある程度妥当な結果が得られると期待される。
3.波長1300 nm及び800 nmパルスを用いた配列分子中からの高次高調波発生
本研究室では先に、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、特にCO2分子を試料とした場合、再結合過程における電子のド・ブロイ波の量子干渉効果を世界で初めて観測することに成功した (T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))。 観測された効果は、詳細な量子力学的計算でも再現されているが、直感的な描像として、CO2分子のHOMOの対称性(pg)を決めている両端のO原子近傍からトンネルイオン化した電子波束が再結合時に破壊的な干渉を起こす2中心干渉効果で説明できる。 本成果は、一分子中で光の一周期以内で起こる電子のド・ブロイ波の量子干渉効果という基礎物理学的な興味に加え、この量子干渉効果を用いることにより分子構造(核間距離)を1フェムト秒オーダーの極限的短時間精度で決定できることから当該分野で大変注目された。 その後Vozziらは、本研究とほぼ同様の実験系を用いた観測を行い、本研究室で観測したよりもより高い光子エネルギー領域で量子干渉効果が観測されることを報告した (C. Vozzi et al., Phys. Rev. Lett. 95, 153902 (2005))。 このため、同じCO2を用いているのに何故異なる光子エネルギー領域で量子干渉効果が起こるのかという素朴な疑問が生じ、この観点から現在でも多くの研究者の関心を集めるトピックとなっている。 実際、最近Smirnovaらは、 (2中心量子干渉というよりもむしろ)CO2分子中のチャンネルX(HOMO)からトンネルイオン化した電子波束と一般的にはその寄与は極めて小さいと考えられるチャンネルB(HOMO-2)からトンネルイオン化した電子波束との破壊的干渉を観測しているとする大胆な解釈を提案した (O. Smirnova et al., Nature (London) 460, 972 (2009))。
そこで本研究では、上記のCO2分子中での量子干渉効果の支配的な原因を探る、N2などの他の分子中での量子干渉効果を調べる、新現象を探索するなどの複数の目的から、これまで専らフェムト秒Ti:sapphireレーザー増幅システムからの出力である中心波長800 nm近傍のパルスが用いられていたのに対し、光パラメトリック増幅器(OPA)から得られる1300 nmパルスを用いて実験を行った。 特に波長1mm以上のパルスを用いることにより、高調波発生の3つのプロセス全てに対し、800 nmパルスのときと異なる以下のような効果が期待できる。 (1)第1ステップであるイオン化過程は1300 nmパルスを用いることによってよりトンネルイオン化の状況に近づく。 (2)第2ステップのレーザー電場中での電子波束の運動は、同じshort trajectoryでも1300 nmパルス中の方が、飛行時間が長くなり、一般的には電子波束はより広がると考えられる。 (3)したがって、第3ステップである再結合時には、1300 nmパルス中での電子波束の方が平面波近似の妥当性が高まる。 さらに、分子軌道イメージングの観点からは、同じピーク強度の場合、より長波長のパルスを用いれば、カットオフEmax = Ip + 3.17Up(Ipは媒質のイオン化ポテンシャルであり、Upはポンデラモーティブポテンシャルである)から、より高い光子エネルギーまで高調波スペクトルが得られ、また、長波長パルスの1光子エネルギーがより小さいことから高調波スペクトルがより密になり、800 nmパルスで得られるよりも高調波スペクトルの情報量が増えるというメリットもある(V.-H. Le et al., Phys. Rev. A 76, 013414 (2007))。
非断熱的に配列した分子中からの高調波を観測するために、ポンプ―プローブ実験を行った。 回転波束を励起して分子を配列するためのポンプ光として、Ti:sapphireレーザー増幅システムの出力の一部を用いた(パルス幅t ~ 50 fs、ピーク強度I ~ 3 x 1013 W/cm2)。 高調波発生用のプローブ光としては、光パラメトリック増幅器からの出力(中心波長l ~ 1300 nm、t ~ 60 fs、ピーク強度I ~ 7 x 1013 W/cm2)を用いるとともに、比較のためTi:sapphireレーザー増幅システムの出力(l ~ 800 nm、t ~ 50 fs、ピーク強度I ~ 2 x 1014 W/cm2)も用いた。試料としてN2、O2、CO2分子を用い、ポンプ光とプローブ光間の遅延時間Dtの関数として特にTrot/2(Trotは分子の回転周期)近傍の高調波の時間発展を観測した 。また、高調波発生におけるイオン化過程と再結合過程の相関を調べるため、800 nmパルスでイオン化した主として1価の分子イオンも観測した。
HOMOがsgの対称性をもつN2分子の場合、800 nmパルスを用いて25次高調波(光子エネルギー~ 39 eV)を観測すると、高調波強度の時間発展はイオン強度の時間発展と同位相で変調することが確認できた。 このことは再結合過程がイオン過程を打ち消すような効果をもたないことを意味している。一方、再結合過程は連続状態から基底状態(HOMO)への遷移双極子モーメントで決まり、その遷移双極子モーメントはプローブ光の波長で決まるのではなく、再衝突電子の運動量(ド・ブロイ波長)で決まる。 実際、800 nmパルスの25次高調波とほぼ同じ光子エネルギーをもつ1300 nmパルスの41次高調波の時間発展もイオン強度と同位相で変調することが確認できた。 N2分子については、29 eVから47 eVまでの光子エネルギーの範囲で800 nmパルスを用いたときと1300 nmパルスを用いたときの高調波強度がほぼ同様の時間発展を示すことが確認できた。
HOMOがpgの対称性をもつO2分子の場合にも同様の実験を行い、光子エネルギー24 eVから47 eVの範囲で800 nmパルスを用いても1300 nmパルスを用いても高調波強度はイオン強度と同位相の時間発展を示すことが確認できた。 ところが、CO2分子を用いた場合にはN2やO2の場合と大きく異なる結果が観測された。CO2分子のHOMOの対称性はO2分子のそれと同じpgであるがHOMOの対称性を決めている両端のO原子間の距離(R = 0.232 nm)がO2分子のそれ(R = 0.121 nm)の約2倍である点に違いがある。CO2分子の場合には29 eVから39 eVの光子エネルギーの範囲で800 nmパルスを用いても1300 nmパルスを用いても高調波強度はイオン強度と逆位相の時間発展を示すことが確認できた。観測された効果は電子のド・ブロイ波の2中心干渉モデルでよく説明できる。実際、高調波強度とイオン強度の時間発展に逆相関が観測された光子エネルギーの範囲で破壊的干渉条件Rcosq = ldB (qは分子軸とプローブ光の偏光方向のなす角であり、ldBは電子のド・ブロイ波長である)が満たされていると考えることができる。 破壊的干渉条件はプローブ光の波長で決まるのではなく、再衝突電子の運動量(ド・ブロイ波長)によって決まる点に注意すべきであり、今回の観測結果は先に本研究室のNature論文で指摘した2中心干渉効果が支配的な現象であることを強く示唆していると考えられる。実際、プローブ光の波長も強度も異なる今回の実験条件では、第1ステップのイオン化過程の性質が大きく異なるはずであるので、同じ光子エネルギー領域で観測された破壊的干渉効果をチャンネルXとチャンネルBとの破壊的干渉効果で説明するのは原理的に困難であると考えられる。
本研究に関連し、CO2分子中での電子のド・ブロイ波の量子干渉効果が観測される高調波の領域のポンプ光強度依存性、すなわち、分子の配列度依存性を調べた。この実験のプローブ光には、ピーク強度2 x 1014 W/cm2の800 nmパルスを用いた。ポンプ光強度としては、4.7、3.3、及び1.5 x 1013 W/cm2の三つの場合について調べた。まず、ポンプ光とプローブ光間の遅延時間Dt ~ Trot/2付近で調べたところ、弱い高調波信号の揺らぎに起因すると考えられる一部の例外はあるものの、上記の三つのポンプ光強度の全てについて21次から29次の範囲にわたってイオン信号と高調波信号が逆相関を示すことが確認できた。ちなみに、今回の実験条件の下で評価された上記の三つのポンプ光強度に対するalignment状態(anti-alignment)の配列度<cos2q>は、それぞれ、0.40 (0.28)、0.38 (0.29)、及び0.35 (0.31)であった。
ポンプ光を照射後の試料分子は、顕著なalignmentやanti-alignmentを示す遅延時間以外の領域でもいわゆるpermanent alignmentと呼ばれる特異な配列状態にある。先にNature論文では、CO2分子がこのようなpermanent alignmentの状態にある場合にも破壊的量子干渉効果に基づく高調波信号の抑制が観測されることを指摘しているが、今回、ポンプ光強度が4.7及び3.3 x 1013 W/cm2の場合には、19次から27次乃至29次の範囲で高調波強度が抑制されることが再確認できた。ポンプ光強度が1.5 x 1013W/cm2の時には、高調波強度の明瞭な抑制は観測されなかったが、このときの配列度<cos2q>の評価値は0.333であり、分子はほぼランダムな配列状態にあることから妥当な結果であるといえる。今回の観測結果は、分子試料がある程度よく配列していれば、イオン化の飽和強度よりも低い強度のプローブ光を用いて観測される量子干渉効果を示す高調波の領域はほぼ一定しており、量子干渉効果の観測に基づく瞬間的な核間距離の測定の有効性を改めて示すものといえる。
4.量子状態選別された分子の配向状態を評価するシミュレーションコードの開発
本研究室ではこれまでに、静電場とレーザー電場を併用して配向を実現する手法、非共鳴<2波長レーザー電場を用いて配向を実現する手法(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem. Phys. 115, 5492 (2001))、 静電場とピーク強度付近で急峻に遮断されるレーザー電場を用いてレーザー電場のない条件下で配向を実現する手法(Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A 77, 031403(R) (2008))、 さらには、ピーク強度付近で急峻に遮断される非共鳴2波長レーザー電場を用いて完全に電場のない条件下で配向を実現する手法(M. Muramatsu et al., Phys. Rev. A 79, 011403(R) (2009))などで配向状態を評価するシミュレーションコードの開発を進めてきた。これらのシミュレーションにおける分子試料としては、いわゆるthermal ensembleを考えて来たので、回転状態 |J,M> (Mは角運動量量子数Jの電場方向への射影である)を基底として展開された波動関数の挙動を調べてきた。
一方、項目1の最後でも述べたように、最近本研究室では回転量子状態を選別された分子試料を用意して静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指している。例えば、六極集束器を用いてOCSのような直線多原子分子の量子状態を選別すると、角運動量量子数Jの分子軸方向への射影成分lも含む|J, l, M >で指定される状態が選別される。したがって、特定の回転量子状態|J, l, M >にある分子試料の配向状態を調べるためには、回転状態|J, l,M >を基底として展開された波動関数を考える必要がある。今年度、従来のシミュレーションコードの拡張を進め、ほぼ完成させることができた。今後は、計算時間の短縮を図り、より高い配向度を達成するためのレーザーパルスのパルス幅や強度の最適化を検討したり、実験との比較検討に役立てられるようにすることが課題となる。
5.その他
本年度は修士課程の大学院生3名が加入する一方、修士2名を輩出した。 ここで報告した研究成果は、研究室のメンバー全員と学部4年生の特別実験で本研究室に配属された川口喬吾君、角田佑介君(夏学期)の活躍によるものである。
なお、本年度の研究活動は、科学研究費補助金、基盤研究(A) 「配列または配向した分子中からの高次高調波発生とその物理」(課題番号19204041、研究代表者:酒井広文)、 特別推進研究「配向制御技術で拓く分子の新しい量子相の物理学」(課題番号21000003、研究代用者:酒井広文)、 及び、文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発「最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」からも支援を受けた。 ここに記して謝意を表する。