2013年度

2013年酒井(広)研究室年次報告

本研究室では、(1) 高強度レーザー電場を用いた分子操作、(2) 高次の非線形光学過程(多光子イオン化や高次高調波発生など) に代表される超短パルス高強度レーザー光と原子分子等との相互作用に関する研究、(3) アト秒領域の現象の観測とその解明、(4)整形された超短パルスレーザー光による原子分子中の量子過程制御を中心に活発な研究活動を展開している。

始めに、分子の配列と配向の意味を定義する。分子の頭と尻尾を区別せずに分子軸や分子面を揃えることを配列(alignment) と呼び、頭と尻尾を区別して揃えることを配向(orientation) と呼ぶ。英語では混乱はないが、日本語では歴史的経緯からしばしば逆の訳語が使用されて来たので注意する必要がある。また、実験室座標系で分子の向きを規定する三つのオイラー角のうち、一つを制御することを1 次元的制御と呼び、三つとも制御することを3 次元的制御と呼ぶ。以下に、研究内容の経緯とともに、今年度の研究成果の概要を述べる。

 

1.レーザー光を用いた分子配向制御技術の進展

本研究室では、レーザー光を用いた気体分子の配向制御技術の開発と配列あるいは配向した分子試料を用いた応用実験を進めている。分子の向きが揃った試料を用いることが出来れば、従来、空間平均を取って議論しなければならなかった多くの実験を格段に明瞭な形で行うことが出来る。そればかりでなく、化学反応における配置効果を直接的に調べることができるのを始めとし、物理現象における分子軸や分子面とレーザー光の偏光方向との相関や分子軌道の対称性や非対称性の効果を直接調べることができるなど、全く新しい実験手法を提供できる。実際、配列した分子試料の有効性は、I2 分子中の多光子イオン化過程を、時間依存偏光パルスを用いて最適制御することに成功したり(T. Suzuki et al., Phys. Rev.Lett. 92, 133005 (2004))、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、電子のド・ブロイ波の打ち消しあいの干渉効果を観測することに成功したり(T. Kanai et al., Nature (London) 435, 470 (2005))するなどの、本研究室の最近の成果でも実証されている。

分子の配向制御については、静電場とレーザー電場の併用により、既に1 次元的および3 次元的な分子の配向が可能であることの原理実証実験に成功した。これらの実験は、分子の回転周期に比べてレーザー光のパルス幅が十分長い、いわゆる断熱領域で行われたものである。この場合、分子の配向度は、レーザー強度に追随して高くなり、レーザー強度が最大のときに配向度も最大となる。一方、光電子の観測や高精度の分光実験では、高強度レーザー電場が存在しない状況で試料分子の配向を実現することが望まれる。本研究室では、静電場とレーザー電場の併用による手法が断熱領域で有効なことに着目し、分子の回転周期Trot に比べて立ち上がりのゆっくりしたパルスをピーク強度付近で急峻に遮断することにより、断熱領域での配向度と同等の配向度を高強度レーザー電場が存在しない状況下で実現する全く新しい手法を提案した(Y. Sugawara et al., Phys. Rev. A77, 031403(R) (2008))。最近、ピーク強度付近で急峻に遮断されるパルスをプラズマシャッターと呼ばれる手法を用いて整形する技術を開発し、レーザー電場の存在しない条件下で分子配向を実現することに初めて成功した(A. Goban et al., Phys. Rev. Lett.101, 013001 (2008))。

一方、本研究室ではさきに、分子の回転周期よりも十分長いパルス幅をもつ高強度非共鳴2 波長レーザー電場を用いて断熱的に分子配向を実現する手法を提案していた(T. Kanai and H. Sakai, J. Chem.Phys. 115, 5492 (2001))。この手法では、使用するレーザーの周波数がパルス幅の逆数よりも十分大きな場合には、分子の永久双極子モーメントとレーザー電場との相互作用はパルス幅にわたって平均するとゼロとなる。したがって、分子の配向に寄与しているのは分子の超分極率の異方性とレーザー電場の3乗の積に比例する相互作用、すなわち、それによって形成されるポテンシャルの非対称性である点に注意する必要がある。

最近、この手法に基づいて、2 波長レーザー電場を用いてOCS 分子を配向制御することにも初めて成功した(K. Oda et al., Phys. Rev. Lett. 104, 213901(2010))。さらに、C6H5I 分子を用い、本手法の汎用性の実証も行った。一方、Even-Lavie valve を用いても、OCS やC6H5I 分子の配向度は、0.01 のオーダーであり、劇的な配向度の増大を図ることは困難であることが明らかになった。この困難は、回転量子状態がBoltzmann 分布しているthermal ensembleでは、いわゆるright way に向く状態とwrong wayに向く状態が混在していることに起因している。本研究室では、配向した分子試料を用いた「分子内電子の立体ダイナミクス(electronic stereodynamics inmolecules)」に関する研究の推進を目指しており、配向度の高い分子試料の生成が不可欠である。そこで、初期回転量子状態を選別した試料に対し、静電場とレーザー電場を併用する手法や非共鳴2 波長レーザー電場を用いる手法により高い配向度の実現を目指すこととした。そして、主として対称コマ分子の状態選別に適した六極集束器(hexapole focuser) と主として非対称コマ分子の状態選別に適した分子偏向器(molecular deector) を組み込んだ実験装置の立ち上げを行った。今後は、回転量子状態を選別した試料を用い、静電場とレーザー電場を併用する手法や2 波長レーザー電場のみを用いる全光学的な手法により、分子配向度の向上を実現した上で、配向した分子試料を用いた「分子内電子の立体ダイナミクス」研究の確立を目指す。

昨年度までに、初期回転量子状態を選別した非対称コマ分子(C6H5I) を試料とし、静電場とレーザー電場を併用する手法を用いて世界最高水準の高い配向度を達成することに成功していた。さらに、プラズマシャッター技術を導入し、初期回転量子状態を選別した分子のレーザー電場のない条件下での1 次元的配向制御に世界で初めて成功した。プラズマシャッターで整形したナノ秒パルスの立下りは、約150 fsであった。分子が配列・配向している様子は、フェムト秒プローブパルスで生成された多価イオンからクーロン爆裂で生成されたフラグメントイオンを2次元イオン画像化法で観測した。配列度を〈cos2 θ2D〉(θ2D はレーザー光の偏光方向と分子軸(ここではC-I軸) のなす角θの2 次元検出器面への射影) で評価すると、レーザー電場を遮断後に、5-10 ps 程度高い配列度を維持できることが明らかとなった。一方、観測されるフラグメントイオンのうち、検出器面の上側に観測されるものの割合Nup/Ntotal を配向度の指標とした場合には、レーザー電場を遮断後に、20 ps程度高い配向度を維持できることが明らかとなった。配列度〈cos2 θ2D〉 のdephasing 時間と総合すると実質的に高い配向度が維持できるのは5-10 ps と考えるのが妥当である。この5-10 ps という時間スケールは、フェムト秒レーザーパルスを用いた分子内電子の立体ダイナミクス研究への応用を考慮すると十分に長い時間スケールと言える。

本年度は、静電場と楕円偏光したレーザー電場の併用により、レーザー電場の遮断直後にレーザー電場の存在しない条件下での3 次元的な配向制御の実現に世界で初めて成功した。実験試料として分子偏向器で初期回転量子状態を選別した3,4-ジブロモチオフェン分子(C4H2Br2S) を用いた。楕円偏光を用いるとBr+ フラグメントの角度分布が楕円偏光面によく沿う様子を観測でき、フラグメントイオンの上下の非対称性と併せて3 次元配向が実現している様子を確認することができた。先の3 次元配向制御の原理実証実験のときに、2 次元イオン画像の観測により3 次元配列の確認をし、TOF スペクトルのforwardイオンとbackward イオンの非対称性の観測により分子が配向していることを確認し、両者の組み合わせにより3 次元配向の証拠としたのに対し、今回は配向度が十分高いため、2 次元イオン画像だけで3 次元配向制御の様子を直接的に観測することができた。この3 次元配向制御の直接的観測自体も世界初の成果である。さらに、プラズマシャッター技術でナノ秒パルスを急峻に遮断すると、1 次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときのdephasing ダイナミクスよりは若干速いものの、~5 ps 程度は十分高い配向度を維持できることを確認した。また、ナノ秒パルス内で、プラズマシャッターを掛けるタイミングを変えると、パルスの遮断後のdephasing ダイナミクスが異なることを確認することができた。特にナノ秒パルスのピーク強度の前後の瞬時強度がほぼ等しいタイミングでパルスを遮断した後のdephasingダイナミクスが異なることは、1 次元配向制御に用いたヨードベンゼン分子のときと同様に、3,4-ジブロモチオフェン分子に対しても、ナノ秒パルスの立ち上がり時間6 ns が分子とレーザー電場の純粋に断熱的な相互作用を保証するほど十分に長くはないことを示唆している。

年度の後半には、上述したナノ秒非共鳴2 波長レーザー電場を用いる全光学的な配向制御手法にプラズマシャッター技術を適用することにより、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御の実験を推進した。2 波長レーザー電場を用いた全光学的な配向制御の実験は、静電場とレーザー電場を併用する手法と比べると、光学系の構成は複雑となる。2 波長レーザー電場としては、ナノ秒Nd:YAGレーザーの基本波(波長λ = 1064 nm) とその第2 高調波(λ = 532 nm) を使用するが、基本波のみをプラズマシャッターで急峻に遮断するように整形した後で第2 高調波を発生させる構成で、第2 高調波の出力を高めるための光学系の調整と2 波長レーザーパルスとプローブパルスの空間的重なりをよくするための調整を地道に行った結果、当初の目標であった配向度〈cos θ 〉>0.1 を達成できる目処をつけることに成功した。直線偏光した2 波長レーザー電場の偏光方向を平行にすれば1 次元的な配向制御が可能であり、偏光方向を交差させることにより3 次元的な配向制御が可能である。さらに、2 波長レーザーパルスにプラズマシャッター技術を適用すれば、静電場も存在しない完全にフィールドフリーな条件下での配向制御が可能となる。

 

2.搬送波包絡位相を制御したフェムト秒パルスを用いた原子分子中からの高次高調波発生

近年の超短パルスレーザー技術の進歩により、レーザー電場の包絡線のピークに対する振動電場の位相(搬送波包絡位相、Carrier-Envelope Phase: CEP)の固定された数サイクルパルスの発生が可能となり、高次高調波発生を始めとする光の1 周期以内で起こる現象のCEP 依存性を直接的に調べることも可能になってきた。本研究室では、CEP の制御された数サイクルパルスを用いた実験に先立って、CEP の制御されたパルス幅π ~ 25 fs のレーザー光を希ガス原子や配列した分子に集光照射して観測される高次高調波スペクトルを解析することにより高調波発生過程に関する新たな知見を得ることができた。具体的には、高調波スペクトルをフーリエ変換して解析した結果、チャープしてスペクトルが広がった隣り合う奇数次高調波の同じ周波数成分が発生する時間差ΔTが高調波次数とともに減少していることが初めて明らかになった。また、分子を試料とした場合に観測される干渉パターンのvisibility は、alignment あるいはanti-alignment 状態にあるときの方がランダム状態にあるときよりも高くなることが明らかになった。このことは、アト秒パルス列の発生において、分子配列がその制御パラメータになることを示唆している。さらに、N2 分子を用いた場合の方が、CO2分子を用いた場合よりも干渉パターンが明瞭であることも明らかになった。この性質は、N2 分子の最高2被占分子軌道(Highest Occupied Molecular Orbital:HOMO)がσg の対称性をもつのに対し、CO2 分子のそれがπg の対称性をもつことに起因していると考えられる(Sakemi et al., Phys. Rev. A 85, 051801(R)(2012))。

その後、CEP の制御されたパルス幅10 fs 程度以下の数サイクルパルスを用いた実験を行うために、真空チェンバー中に設置した凹面鏡でフェムト秒パルスを集光できる高次高調波発生装置を立ち上げた。数サイクルパルスは、フェムト秒Ti:sapphire レーザー増幅システムから得られる25 fs パルスをNe を充填したホローコアファイバーに通すことにより、伝搬に伴う自己位相変調効果でスペクトルを広帯域化した後に、チャープミラー8 枚(即ち、8 bounces) で分散補償して圧縮することにより発生させる。さらに、数メートルに及ぶ空気中の伝搬や高調波発生装置の入射窓を通過する際の群速度分散によるパルスの広がりを高調波発生装置付近に設置した別のチャープミラー8 枚(即ち、8 bounces) で分散補償して使用した。高調波発生用の数サイクルパルスのパルス幅と位相は、同じく高調波発生装置付近でSPIDER (spectralphase interferometry for direct electric- eld recon-struction) 法により測定した。

昨年度までに、非断熱的に配列したN2 分子やCO2分子を試料とし、CEP を制御した10 fs パルスを基本波とする高次高調波発生実験を行いプラトーからカットオフに近い領域にCEP の相対値に依存して移動する干渉縞を観測することに成功した。今年度、高調波スペクトルをフーリエ解析して考察した結果、観測された干渉縞は、高次高調波発生用のプローブパルス中で時間差ΔT = T/2、T、3T/2 (T はプローブ光の1周期) だけ離れたアト秒パルス間の干渉によるものであることが明らかになった。また、時間差ΔT = T=2 で干渉して発生する高調波の位相はCEP に依存しないのに対し、時間差ΔT = T、及び3T/2 で干渉して発生する高調波の位相はCEP の変化に対し、slope 2 の依存性をもつことが分かった。高調波チャープ(harmonic chirp) の効果を取り入れたモデルによる考察の結果、上記のCEP(非) 依存性を示すためのチャープ係数b に対する条件としてb >0.6fs-2を決めることもできた。さらに、配列した分子軸に対し、基本波の偏光方向が平行なときと垂直なとき(あるいはランダム配向のとき) で、現状では断定するには至らないものの、高調波の位相に違いがある可能性があることが分かった。本手法で解析できる位相シフトには、本実験で使用した数サイクルパルスの様に、搬送波の強度変化が急な場合に重要となりうるcontinuum evolution phase に加え、HOMO-1 の様な励起状態が高調波発生に寄与する場合には、電子波束がレーザー電場中で駆動される間の親イオンの電子状態の時間発展に関連する位相やイオン化の際の位相(ionization phase) が寄与しうることを考察した。

 

3.原子、及び配列したN2 分子から発生する高次高調波の隣り合う次数間の位相差の観測

昨年度、配列・配向した分子試料から発生する高次高調波の観測に基づく分子イメージング法の高度化のために、従来の強度スペクトルに加え、位相スペクトルも観測する装置を新たに開発した。位相スペクトルの観測は高調波によって希ガス中から発生する光電子の運動量を、時間差を付けて照射する基本波で変調した信号の観測に基づいている。開発した装置では、高調波の位相スペクトルの観測に関して、より豊富な情報が得られる2 次元光電子画像化法を採用した。

今年度、Ar、Kr、及び配列したN2 分子から発生する高次高調波の隣り合う次数間の位相差の観測を行った。今回は、原子や分子のクーロン電場の影響を強く受けるため、原子軌道や分子軌道の情報を得る観点から近年注目されている媒質のイオン化ポテンシャル近傍のエネルギー領域、いわゆるnear-threshold領域の高調波に着目して実験を行った。観測した範囲では、隣り合う次数間の位相差は、Kr 中から発生する高調波のそれの方が、Ar や配列したN2 分子中から発生する高調波のそれよりも大きいこと、Ar と配列したN2 分子中から発生する高調波については、サイドバンド次数12 の位相差はN2 分子中から発生する高調波の位相差がAr 中から発生する高調波のそれよりも有意に大きいことが明らかになった。クーロンポテンシャルの性質の差が表れている可能性があり、理論モデルを用いた考察を進めている。

 

4. 配列した分子中から発生する高次高調波の偏光特性

近年、配列した分子中から発生する高次高調波を観測することにより、分子軌道に関する情報を抽出する研究が大変注目されている。Itatani らは、非断熱的に配列させたN2 分子を用い、分子の配列方向に対し様々な方向に偏光したプローブ光を照射して発生する高調波のスペクトルを観測し、Fourier slicetheorem に基づいて、N2 分子の分子軌道を再構成して見せた(J. Itatani et al., Nature (London) 432,867 (2004))。本研究室では先に、配列した分子中からの高次高調波発生実験において、特にCO2 分子を試料とした場合、再結合過程における電子のド・ブロイ波の量子干渉効果を世界で初めて観測することに成功した(T. Kanai et al., Nature (London) 435,470 (2005))。観測された効果は、詳細な量子力学的計算でも再現されているが、直感的な描像として、CO2 分子のHOMOの対称性(πg) を決めている両端のO 原子近傍からトンネルイオン化した電子波束が再結合時に破壊的な干渉を起こす2 中心干渉効果で説明できる。本成果は、一分子中で光の一周期以内で起こる電子のド・ブロイ波の量子干渉効果という基礎物理学的な興味に加え、この量子干渉効果を用いることにより分子構造(核間距離) を1 フェムト秒オーダーの極限的短時間精度で決定できることから当該分野で大変注目された。

最近Morishita らは、時間依存Schrodinger 方程式を数値的に解くことによって得られる正確な再衝突電子波束を用いることにより、高次高調波スペクトルから原子や分子の構造に関する情報を抽出できる可能性を指摘した(T. Morishita et al., Phys. Rev.Lett. 100, 013903 (2008))。すなわち、高調波スペクトルS(ω) を運動エネルギーの関数である再衝突電子波束W(E) とイオン化の逆過程である光放射再結合断面積σ(ω) を用いてS(ω) = W(E)σ(ω) のように表すことができ、高調波スペクトルS(ω) を実験で観測し、数値計算から求められた正確な再衝突電子波束W(E) を用いることにより原子や分子の構造を反映した再結合断面積σ(ω) を評価できると期待される。ここで注意すべきことは、電子波束が再衝突して(特にカットオフに近い) 高調波を発生するときは、レーザー電場強度がほぼゼロになっており、外部電場がないときの再衝突断面積σ(ω) を評価できることである。このアプローチに従って、本研究室では電気通信大学量子・物質工学科の梅垣俊仁博士、森下亨博士、渡辺信一博士、および、カンザス州立大学物理学科のAnh-Thu Le 博士との共同研究において、希ガス原子Ar、Kr、Xe 中からの高次高調波スペクトルを観測し、正確な再衝突電子波束W(E) を用いて再結合断面積σ(ω) を評価するとともに、理論計算から求められたσ(ω) と比較することによりその妥当性を検証した(S. Minemoto et al., Phys. Rev.A 78, 061402(R) (2008))。上記の考え方をさらに発展させることにより、原子分子に関するいわゆる「完全実験」の目的である全ての双極子行列要素の振幅と位相を決めることも可能になると期待される。直線分子については、配列した分子から発生する高次高調波の偏光特性を調べることにより、必要な情報を得ることができると考えられる。

特に、分子から発生する高次高調波の楕円率依存性は、最外殻軌道の形状や対称性の影響を強く受けることが知られている(T. Kanai et al., Phys. Rev.Lett. 98, 053002 (2007))。しかし、これまで高次高調波スペクトルの楕円率依存性を系統的に調べた例はない。分子軌道に関する詳細な情報を得るためには、多くの次数について系統的に調べることが重要である。そこで今年度は、配列したN2、O2、CO2分子について高次高調波の楕円率依存性をイオン化ポテンシャル近傍の9 次高調波からカットオフ近傍まで系統的に観測した。

分子を配列させるため、Ti:sapphire レーザーパルス(中心波長~800 nm、パルス幅~50 fs) の一部をpump 光として試料分子に照射し、一定の遅延時間後、分子が配列した状態でprobe 光(ピーク強度 ~2.5 × 1014 W/cm2) を照射して高次高調波を発生させた。ここで、λ/2 波長板とλ/4 波長板の組み合わせによりprobe 光の楕円率を制御した。また、/2波長板によりpump 光の偏光方向を変え、配列した分子の分子軸と楕円偏光したprobe 光の長軸が平行または垂直になるようにした。発生した高次高調波スペクトルは、斜入射型真空紫外分光器と電子増倍管により観測した。

高次高調波の強度は、基本波の楕円率が大きくなるにしたがって、一般に単調に減少する。これは、高次高調波の発生メカニズムを説明する3 ステップモデルに基づいて考えると、楕円率を大きくするほどレーザー電場中で電子波束の重心が横方向にずれ、再衝突する際に親イオンとの重なりが小さくなるためである。また、楕円率が同じであれば、高次の高調波ほどレーザー電場中で駆動される電子波束の重心のずれが大きくなるため、一般に楕円率依存性がより急激になる傾向がある。実際、希ガス(Kr) やN2 分子(最高被占軌道HOMO の対称性がσg) を試料として測定すると、次数が高くなるにつれて楕円率依存性が急になる様子が観測された。また、N2 分子では、分子軸と楕円偏光した基本波の長軸が平行な時の方が、垂直な時よりも楕円率依存性がより急であった。これは、窒素分子のHOMO の形状を反映した結果であると考えられる。

それに対し、HOMO の対称性がπg であるO2 分子やCO2 分子では、3 ステップモデルから直観的には予測できない楕円率依存性が観測された。一つは、イオン化ポテンシャル近傍の次数(9 次および11 次)において、楕円率を大きくしても高調波強度は単調には減少せず、特定の楕円率で極大を示した後に緩やかに減少することである。もう一つは、プラトーからカットオフ近傍の領域において、次数が高くなっても楕円率依存性が殆ど変化せず、ほぼ一定となることである。特にCO2 分子では、分子軸と楕円偏光の長軸が平行な時の方が垂直な時よりも楕円率依存性が緩やかであり、3 ステップモデルから直観的に予測される結果と逆になっている。この様な楕円率依存性は、電子波束の破壊的干渉効果と関連していると考えており、詳細なメカニズムを解明するために、probe 光の強度の効果、試料の圧力の効果、及び、probe 光の集光条件の影響を受ける位相整合効果などを総合的に調べている。

それに対し、HOMO の対称性がπg であるO2 分子やCO2 分子では、3 ステップモデルから直観的には予測できない楕円率依存性が観測された。一つは、イオン化ポテンシャル近傍の次数(9 次および11 次)において、楕円率を大きくしても高調波強度は単調には減少せず、特定の楕円率で極大を示した後に緩やかに減少することである。もう一つは、プラトーからカットオフ近傍の領域において、次数が高くなっても楕円率依存性が殆ど変化せず、ほぼ一定となることである。特にCO2 分子では、分子軸と楕円偏光の長軸が平行な時の方が垂直な時よりも楕円率依存性が緩やかであり、3 ステップモデルから直観的に予測される結果と逆になっている。この様な楕円率依存性は、電子波束の破壊的干渉効果と関連していると考えており、詳細なメカニズムを解明するために、probe 光の強度の効果、試料の圧力の効果、及び、probe 光の集光条件の影響を受ける位相整合効果などを総合的に調べている。

 

5.配列した分子中から発生する第3 高調波の偏光特性の時間発展の評価

昨年度まで調べてきた配列した分子中から発生する第3 高調波の偏光特性の観測は、時間分解されておらず、時間的に積分された偏光特性が評価されている。しかし、プローブ光との相互作用領域において、複屈折性をもつ配列分子の配列状態は一様ではないことから、第3 高調波の偏光状態は時々刻々変化する時間依存偏光パルスとなっている可能性がある。超短パルスレーザー技術の進歩により、Ti:sapphireレーザー増幅システムからの出力である中心波長800nm の近赤外領域での時間依存偏光パルスの発生と制御技術は本研究室でも既に開発済みであるが、紫外領域の時間依存偏光パルスの生成と制御技術は未開拓の課題である。第3 高調波の偏光状態を時間分解して調べることは、配列した分子中からの第3 高調波の発生メカニズムのより詳細な理解に繋がるであろうし、偏光状態の時間分解が一層困難な高次高調波の偏光状態を推察するための手掛かりが得られる可能性もある。また、レーザー電場のベクトルとして性質を最大限生かすことのできる時間依存偏光パルスの発生と制御手法の波長域の拡大は工学的にも意義深い。そこで、昨年度より配列した分子中から発生した第3 高調波の時間依存偏光特性を評価するため、偏光分解干渉法の開発を進めている。この測定により、分子種に固有の分極率や超分極率、さらに分子座標系におけるそれらの空間的な成分を評価できると期待される。

偏光分解干渉法は、信号光(配列した分子から発生する第3 高調波) と適当な時間だけ遅延させた参照光(信号光と同程度のバンド幅が必要) を同軸上にして分光器に入射し、スペクトルに現れる干渉信号から信号光の位相を抽出する方法である。ここで、分光器の直前に偏光ビームスプリッターを設置して鉛直あるいは水平成分のみを観測し、各成分間の位相を比較すれば時間に依存した偏光状態を評価できる。参照光用の第3 高調波は、 β-BaB2O4 結晶2 枚を用いた一般的な手法で発生させた。

本年度は、前年度までに開発した干渉計をさらに安定化させた。その結果、数分でπ/2 程度あった位相ドリフトを、30 分の観測でもπ/5 以下に抑制することに成功した。また、短時間の安定度も向上させ、1 分当たりの位相ゆらぎはπ/20 以下を達成した。

開発した干渉計を評価するために、直線偏光した基本波を用い、配列したCO2 分子から発生する第3 高調波の偏光状態を観測した。位相整合の様子が異なると考えられる2 つの圧力条件で測定したところ、試料ガスの圧力が低い(20 kPa) 時にはパルス全体に渡って0.1 以下の小さな楕円率であるのに対して、圧力が高い(80 kPa) 時にはメインパルスにおいて0.3 程度の比較的大きな楕円率を持つことがわかった。このことは、基本波の偏光に垂直な方向の偏光成分は位相整合の効果で現れていることを示唆している。今後、基本波の偏光の楕円率を変えながら第3 高調波の(時間に依存する) 偏光状態を調べ、第3 高調波の発生メカニズムを明らかにしていく予定である。

 

6.その他

ここで報告した研究成果は、研究室のメンバー全員と学部4 年生の特別実験で本研究室に配属された土屋竣君、林佑樹君(夏学期)、及び、小森健太郎君、羅恒宇君(冬学期) の活躍によるものである。このうち、小森健太郎君は、特別実験II で取り組んだ研究課題「配列したCO2 分子中から発生する高次高調波の楕円率依存性」での活躍などが高く評価され平成25 年度の理学部学修奨励賞を受賞した。おめでとう。

なお、今年度の研究活動のうち項目1-4 は、科学研究費補助金の特別推進研究「配向制御技術で拓く分子の新しい量子相の物理学」(課題番号21000003、研究代表者:酒井広文) に加え、文部科学省「光・量子科学研究拠点形成に向けた基盤技術開発 最先端の光の創成を目指したネットワーク研究拠点プログラム」、及び、「最先端研究基盤事業 コヒーレント光科学研究基盤の整備」からの支援も受けて行われた。また項目5 は、主として科学研究費補助金の基盤研究(C)「配列した分子試料を用いた紫外パルス光源の高能化」(課題番号24560041、研究代表者:峰本紳一郎) の支援を受けて行われた。ここに記して謝意を表する。